札幌事業所「被爆を乗り越え」

北海道札幌市 S・Oさん(82歳)


Oさんは被爆体験をお持ちです。長崎生まれで20歳の時に原爆投下。警察署に勤務で、ご本人は建物内でいたことが幸いしたとおっしゃっていますが、友人の多くは兵器工場勤務中に亡くなられたとか。室内にいてもピカッとものすごい光だったそうです。

8月6日の広島原爆の日に札幌で催される慰霊祭には毎年出席されています。今年は体調不良で不参加も検討されていたそうですが、ご長男のお嫁さんが同伴されて今年も参列することができました。「万が一のことがあったら、被爆死亡者名簿に名前を書き加えて貰えるから無理をしてでも参加しています。今回はそろそろお嫁さんにも顔を出しておいてもらわんと」と参加を決めました。被爆者は札幌だけで200人を超えているそうですが、死亡者名簿数は増え続けています。

Oさんのお宅は、お父様が通訳だったり、お母様が裁縫を教えていたこともあり、常時生徒さんがあふれるお宅だったそうです。その後、神戸へ転居し、結婚されて40年。簿記のベテランで60代後半まで現役でバリバリ働いておられた才媛です。
札幌へは14、5年前に転居されました。阪神大震災の前で被害に遭うことはありませんでしたが、家族や友人が住んでいる神戸の状況が心配で、テレビの前に釘付けだったと振り返っておられました。

被爆の影響か骨や関節などの病変が多いというOさん。関節の痛みがひどく、訪問看護の方からふれあいを紹介され、体が動かなくならないようにとマッサージを始めました。マッサージを受けた日はとても楽になるとおっしゃってくださいます。

編み物道具
さらに被爆原因の病気を発症しないように常に気を配っておられ、毎日2リットルの水分を取るように心掛けているとのことです。また、左手が動きづらいので、右手で出来るパッチワークや手芸をされて、指先を動かすようにしておられます。細かい刺繍や編み物などこつこつと仕上げて、大作を現在お住まいのケアハウス内に飾ったり、お友達に贈ったりしています。
「子どもに厄介にならんように。人の手を借りたり寝付いたりせんようにせんとね」。自分で出来ることは自分で…と強い意志で行動される姿は一見お元気そうに見えますが、頑張りすぎて体調を崩されないよう、私共も少しでもお手伝いできればと思います。