東京事業所「冬の終わり」

 東京が唯一他事業所と違うところ、それは自転車移動だ。まず前提に自然との闘いがある。今年の冬は雪の当たり年だったし例年に比べ気温も低かったため、とても厳しいものがあった。春が待ち遠しくてたまらなかった。

 週に2回スタッフ2名で担当している患者様がいる。97歳男性、彼を日常的にみる家族がいないため2つの施設をショートステイやデイサービスを利用して行き来している。もともと彼を心配していた娘さんがマッサージを依頼してきたこともあって、体験に行った時には本人は「マッサージなんかやらなくていい」との事だった。そこを相談員さんと娘さんが説得し、施術を行う事となった。私が初めて伺った時ももちろん喜んでもいない様子で、来たならやってもらう、そんな感じだった。円背が強く一人で寝返りを打つのも困難だが、無口で人の手を借りたくないと言わんばかりの態度でとても自尊心の強い人だなという印象を受けた。おまけに右手の小指第一関節もなく、様々な想像をかきたてる人だ。デイサービス利用時はいけないのでタイミングが悪いと2~3週間会えない時がある。その為何回行っても関係が振り出しに戻るような感じで、なかなか心が通い合わなかった。

木枯らし
 久しぶりに3回連続で行く事の出来たある日、いつものように施設に行くと彼は共有スペースで車椅子に座ったまま机におでこをつけて眠っていた。いつも丸い背中がいつもに増して丸く小さく、何とも言えない切ない気持ちになった。「○○さん、マッサージに来ましたよー」いつも通り施術を行った後、いつも寝てしまう彼に「このまま休みますか?」と聞くと「いや、起きる」と小さな声で言った。珍しいな、と思いながらもいつも彼がいる場所に車椅子を押していくと、車椅子が静かに止まった。彼を見ると「あっち」と指をさすので、「あ、トイレですね?」と尋ねると「違う」と言う。
 それ以外行くところがないので「どこか行くところがあるんですか?」と尋ねると「帰るんでしょ。」と小さな声で言った。まさかと思ったが「もしかして○○さん見送って下さるんですか?!」と尋ねると彼は黙って首を縦に振った。
 エレベーターまでは簡単な道のりだが、彼は車椅子を押す私にあっち、あっち、と言葉少なに案内をしてくれた。私はエレベーターに乗り込み、扉ごしに顔を合せ挨拶をすると、彼は一生懸命顔をあげて笑って見送ってくれた。
桜の花のイラスト

 エレベーターの扉が閉まったあと、彼が一人で車椅子を動かしている後ろ姿を想像すると涙が出そうになった。今まで言葉や物で感謝の気持ちを頂いたことは毎日たくさんあったけれど、気持ちを受け取ることがこんなにも嬉しいことだとは思わなかった。
外に出ると春一番が吹いていた。待ちに待った春の到来だ。私は自転車に乗りながら自然とつぶやいていた。「やっていてよかったぁ・・・。」長い長い冬の終わりだった。