福岡事業所「おくりびと」

 他業者のリハビリからの引継ぎという形で、週に5日伺うことになった患者様。北から南を経て日本に来られて、その中で5姉妹を育てあげられた方でした。
 伺い始めた頃は、認知が進んでいるために話しかけても日本語が通じずに、身振り手振りで意思を伝えようとしていました。私が男性だったために腕や足での拒否動作を行われ、それを避けつつ施術するという状態が2~3ヶ月毎回続きました。4人の娘さんたちが日替わりでいて下さり、助けてもらいつつの状態でした。
 しかし、徐々に受け入れていただけるようになり、車椅子からの移乗もさせていただけるようになり、3年ほど伺い続けました。
 そして、だんだん眠っていることが増え、騒がれることも減りましたが、それは患者様が弱っていかれているということでした。

 ある日伺うと、かなり呼吸状態も悪く血圧も低かったのですが、娘さんから軽くでよいからマッサージをやって欲しいと言われ、最後になるかもしれないと思いつつ、とにかくゆっくり丁寧に施術させていただきました。
 次の日、いつもの時間に伺うと葬儀社の車が家の前に止まっていました。車を止め伺うと、今朝の2時にご逝去されてお通夜の準備中でした。前日施術した患者様は、白装束に着替えられて床につかれていました。

糸で描いたハートマークのイラスト

 娘さんたちも勢ぞろいされていて、連絡しなかったことを詫びられました。お悔やみを言って帰ろうとしたところ、娘さんから「あなたに長いこと来ていただいていたから母の指を胸の前で組ませてほしい」と言われ、葬儀社の方の指示のもとまだ温かく死後硬直も起こっていない指を小指側からゆっくり組んでいきました。頭の中には、本当に走馬灯のようにここで起こったことが思い出されていました。

 終わって5姉妹の方々と今までの思い出話を行い、次に向かうために最後にもう一度お参りして辞しました。家を出て、もう来ないのだなと思い、外から深く礼をして次へ向かいました。
 期せずして「おくりびと」を行うことになった時の話です。

福岡 辻淳介